作家の器を手元におくと

先日、雰囲気と勢いで、現代作家の花器を二点購入しました。とくに買うつもりでその場にいったわけではないのですが、流れとか縁とかいうことなのでしょうね。


壁かけタイプの花器を購入したのには、実はわけが。

銘「俺は死んでもお前は死ぬな」二階堂明弘さん作
銘「俺は死んでもお前は死ぬな」二階堂明弘さん作

器に惚れると、いい加減なことはできないなって思う。その意識の変化は、実は意外に大きい

私はとくに華道だのフラワーアレンジメントだのの心得はないままきたのですが、でもなんとなく花がある生活は好きなので、そのへんで摘んできた花をてきとーに活けることも多いのです。


コップやココットにちょっと、ということもあるし、形が気に入った空き瓶をいくつか並べてということもあります。

 

前にハングタイプの小さな花瓶を買ったとき、普通の花瓶にいけるよりずっと立体的な感じに仕上がり、腕がない私でも、ちょっとスタイリッシュなイメージで花を飾ることができるなと思ったのでした。また、花器自体の形がすっごく気に入っていたものがあり、これもまた、投げ入れのような感じで飾るだけで、なんともいい和のイメージを醸し出すことができました。

 

そんなわけで、器の力は腕のない私の花飾りの強い味方!と思うようになりました。

上記2つの花器が壊れてしまってから、花の形が決まらない!と思うことも多くなりましたが、この花器を購入したら、また「自分なりに考えて飾りたい」と花のいけ方を意識するようになりました。

器が素敵!と思えば、いい加減な花のいけ方じゃ納得できなくなってしまう。申し訳ないと思ってしまう。

 

で、そんなちょっとした緊張感が普段の暮らしには必要なのではないかと思うのです。その作家さんが技と心をこめて作った花器だから、ヘタでも心をこめて花を活けたいなって思う。その心持ちの変化をもたらしてくれるとしたら、ちとお高いと思った値段も、決して高くはないと思えてくるのです。