20年近くも前のこと。周り中が「子どもを預けるなんてとんでもない!」という状況だったことから、「仕事を続けたい」と言い出すことすらできず、その言葉を飲み込んで専業主婦をしていた3年間がありました。
子どものそばにいながらできる活動ってないだろうか?
日々悶々としながらそんなことを考えていました。
日経の記事で知った同じ思いの母たちの集まり。
ベビーカーに子どもをのせて参加したところ、いきなり問われたのが、
「あなたの夢は?大きくなったらどうなりたいの?」
衝撃でした。
睡眠さえ十分にとれず、社会からおいていかれるのではないかという焦燥感と、でも子どもを見るのは自分しかいないという逼迫した責任感とで、まったく余裕がなくなっていました。
夢?そんなことを考えたこともなく、とにかく一日一日をすごすだけで精一杯だった自分にむけられたその質問に、「料理を作ることで人に喜んでもらいたい」私は即座に答えていたのです。自分でもまったく意識したことすらなかったのに。
その「答え」がきっかけで食の活動を始めることとなったのだから不思議なものです。
子どもを第一にというスタンスは崩さず、少しずつ少しずつ仕事の量を増やすことができたのはありがたかった。地方出張に乳飲み子連れでもOKしてくれた方々もいました。今考えれば本当にありえない好意だったと思います。
食の活動をはじめた当初、「私のように、やりたいことをあきらめて家に入り、子育てをしている母は少なくないに違いない。そうした人たちが少しでも楽しく前向きにすごせる場を作りたい」それが、私の切実な思いでした。
重度のアトピーの娘をかかえ、知り合い一人すら近くにおらず、育児に誰の手も借りられなかった当時、育児ノイローゼ寸前になったことも多々。そんな辛い思いをする人が少しでも減るように。どんな小さな赤ちゃんを連れてでも参加できる料理教室を開こうと自宅を開放しました。料理教室に行くという理由なら、どんなに理解のない夫でも出してくれるのでは?という思惑もありました。
哀しさ、寂しさ、切なさを抱える母たちは多く、本当にたくさんの方々が我が家にきてくれました。
自分のライフステージが変わるうちに、自宅での料理教室もクローズしてしまいました。もしかしたらまた開くかもしれませんが。
自分ができることって限られています。
食の世界で活躍するさまざまな人たちと出会う機会もあり、よけいに考えます。
私がやりたいことはなんなのか?
何を目指しているのか?
ある人は、私のことを「社会派レシピニスト」といいました。
私は、自分が今の社会の中で課題ととらえることに対して、レシピを作ること=食材の使い方を考え、提案することで、ほんの少しでも自分が理想と考える社会に近づいてほしいと思っている。
私は、多くの人が、料理を作ることを「無駄な時間」と考えるのではなく、忙しい日々の中で、あえて「食べてくれる人のことを思い、献立を考え、買い物をし、料理を作り、供し、食べ、片付ける」という「日常」をいつくしんでほしいと願っている(←おせっかいかもしれませんね)。
私は、おいしい、楽しい、と「食べ続けていく」ことが大切だと思っている。食べ続けていくためには、今考え、行動しなければいけないこともある。それは農、環境、政治、経済、社会のあり方などほんとにさまざまなことに及ぶ。
私は、「**してはいけない」と言いたくない。「**しなければいけない」とも言いたくない。それぞれが感じ、知り、考えた上で方針を決めるのは自分。結論だけをおしつけても何も意味がないと思う。私は私なりに考えて自分なりの方針で生きていく。
どんなに忙しくても、日々家族のためにご飯を作るというのは自分に課しています。それがなくなったら、私が主張することに裏付けがなくなってしまうと思うので。
でも先日、息子に言われました。
「ママは、自分1人だとしてもちゃんとご飯作って食べるよね。それって、すっごいプライドと意地だよね」
はい、本当にその通り、と思いました。
不要なプライドなのかもしれない、不要な意地なのかもしれない。
でも、まあ、そんな時代に生まれ、そんな教育を受けてきてしまったみたいですw
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