ここ数日、
「お母さんのお弁当が愛情。買ってもたせるなんて愛がない証拠」とか、
「お母さんが愛情をこめて作れば、子どもに好き嫌いなくなるはず」
といった話をきいたり読んだりすることが多かったように思います。
こういう話をきくと、私はあまりいい気持ちにはなれません。
「お母さん」ばかりがやり玉にあがっているというのも一つ。
お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、
友だちだってお手伝いできるかも!
でもいい気持ちになれない理由はそれだけではありません。
批判することで得るもの、与えることができるものは?
こういう発言をきいて、
手作りのお弁当を今作ることができないでいる人、
毎日ご飯を作ることができずにいる「お母さん」が、
「そうよね。作らなくちゃ」と今日から作るようになるでしょうか?
私にはそうは思えないのです。
世間一般ではなく、個々のお母さんたちに目をむけたいな
多くのお母さんたちは、忙しく暮らしていると思います。
できない理由にはいろいろあると思うのです。
外から見えない理由も含めて。
「世間一般のお母さんたち」が料理をしないことを批判するのは簡単です。
そして、「世間一般のお母さんたち」は
上のような発言をしている人には関係ない人たちです(たぶん)。
隣に住んでいるAさんだったり、知り合いのBさんだったり。
そうした人たちが
忙しくて疲れて
ご飯を作る気力すらなくなってしまっているのを知っているのだったら、
批判するのではなくて、
その人の気持ちを楽にしてあげることを見つける方が生産的な気がします。
何か具体的にお手伝いしてあげたっていいと思うし、
「いつもがんばってるよね」と声がけするだけだって違うかもしれません。
前向きの言葉を発していきたいな
弱っている時に、
そして自分はちゃんとできていないなあと自覚している時に
「ダメね」と言われても、もっとへこむだけ。
私自身も、たくさんの人から応援の声をもらいながら
どうにか子育てをしてきました。
批判されれば辛いし、場合によっては過敏に反応してしまうこともあるし、
ちょっと声をかけてもらうだけで涙がでるくらい嬉しいことだってあるのも
よくわかるのです。
10点の人にいきなり100点の目標を提示しても落ちこむだけ。
10点の人が15点を目指してみようと思えるような言葉を
私は発していきたいなと思います。
「大丈夫大丈夫、一歩ずつ進みましょ」
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飯干由香 (月曜日, 03 12月 2012 21:52)
思わずコメントしました。
子供が幼稚園児だった頃、今は亡き、ある幼稚園の園長が仰った言葉に、私は救われました。
「お弁当は、作れないなら買ったものでもいいんです。それをお弁当箱に詰め替える、その行為にも愛情があるんです。」
そして、今は思います。
「あー今晩は何にしよう」そう考えることって、それだけでもう愛情なんじゃないかな~と。自分以外の人の食のことを考える、悩む。どーでもいい人のことなら、考えないと思いますから。
私も言いたいです。
「大丈夫、大丈夫!」
yukakosakai (月曜日, 03 12月 2012 22:21)
飯干さん、コメントありがとうございます。
「大丈夫、大丈夫!」
本来自分が産んだ子どものことを思わない親はいないと思うのです。
いろいろな条件からいっぱいいっぱいになってしまって
子どもに目や手がまわらないのだとしたら、
昔だったら周りに手を差し伸べるおせっかいおばさんwもいたと思うのです。
少なくとも子育てという「事業」をこなしてきた私たちは、たりないところを批判するのではなく、エールを送ることをしていきたいって思います。
批判するほど簡単なことはありません。
そしてそれは何も産みません。
代案を出すこと。
サポートすること。
その方がよほどクリエイティブ!と思います。