料理学校を出たわけでも、栄養士の資格があるわけでもない。
どこかの国の料理を極めているわけでもない。
料理はまったくの自己流。
いろいろな偶然が重なり、食を仕事にすることになったが、一時は「これでいいんだろうか?」と悩んだ時期もあった。
私にとっての「学校」は、世界のキッチンだったのかも
でも最近、自分の方向性がやっと自分でわかってきたように思う。
今更、なのだが。
旅が好きだから、世界のさまざまな地域を訪れた。
食いしん坊だから、いろいろなものを食べてみた。
人が好きだから、食べものを通じて、たくさんの人に自分から話しかけた。
ホテルの厨房に入り込んだり、家庭のキッチンで一緒に料理させてもらったり、を各地でしてきた。
その積み重ねが私の「学校」だったかな、と思う。
いろいろな地域の食の特徴、さまざまな料理、食材について知るのが楽しい。
だから調べるし、訪れる。
この国にあの食材があったらどんなふうに料理するだろう?
そんなことを考えるのが楽しい。
特産品をどう活かすか、という仕事では、私のレシピを再現してもらっても意味がない
地元の特産物をどう活かすか、といった「お題」をいただいて地域を訪れ、ワークショップを開催する仕事をいただくこともある。
地元で中心的に活動していくべき人たち(多くは女性)をいかにやる気にするか。
彼女らの先入観をいかにとりのぞき、自ら柔軟にレシピ開発をできるような土壌を作るか。
レシピ開発を進めていく上での基本的な考え方や発想の方法、忘れてはいけない軸をおさえること。そして、ベースとなるべき「基本料理」を提示すること。それが私の役割と思っている。
そこからどうアレンジしていくかについては、彼女らがするべきことだ。
私が作るレシピを普及させたところでたいした意味があるとは思えない。
レシピを自ら開発できる人に変えちゃうことが私の役目と考えている
ワークショップはこんな感じで展開する。
地元の食材を、まっさらな五感で味わってもらい、それを言葉にしてもらう。
こちらが提示する「基本料理」を作ってもらう。場合によっては事前に作ってもらい、そこからのアレンジを考えてもらえるように「宿題」を出しておく。
当日はその「基本料理」をベースに、私なりのアレンジを、世界各地での食体験をベースにレシピにおこし、それを皆で作って食べてみてもらう。
これによって、彼女らの先入観をつきくずすのだ。
「こんな食べ方もあったんだ!」と。
「こんなに自由な発想をしてよかったんだ!」と。
今回の基本料理は、塩漬けレモンと砂糖漬けレモン。それを各自仕込んでもらい、それを使ってどんな料理が作れるかを考えておくこと。
それを宿題とした。
人は誰でもクリエイタ!
ワークショップも後半になると、大概は「これ、**とあわせるといいかと思うんです!」とか、「こんな食べ方もあるかもね」とか、彼女らはどんどん饒舌になる。
こうなったらしめたもの。
料理を考え、つくり出す「基本姿勢」さえ身につければ、あとはそれぞれがクリエイティビティを存分に発揮して、地元でさまざまに開発していってくれれればと思う。
娘のアトピーで専業主婦をせざるをえず、育児ノイローゼ寸前までいった私の心を救ったのは料理だった。
料理があったから、人との繋がりを作ることができた。
些細な創造ではあるけれど、創造する喜びに目覚め、日々の楽しさを取り戻すことができた。
だから、彼女らが、今までと違う創造の喜びに目覚めた瞬間に出会うと心から嬉しい。そんなワークショップをやっていきたい。
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