食べるものを選ぶことができるのはパワー。
食べることによって未来の社会を選択することができるパワーを、多くの日本人は持っている。
だからこそ、食卓から世界を見て、未来の社会に働きかけていきたい。
大きすぎるように見える社会的な課題を、私たち一人一人の日々のくらしの中に落とし込み、「私たちにはその課題解決のために何ができるのか?」を見える化していきたい。
一歩ずつでも課題解決に近づくしくみを作りたい。
とはいっても肩肘はらずに、楽しく。
2002年の食の探偵団たちあげから
子らの成長に従って少しずつ食の仕事を広げ、レシピ本を数冊は出していたが、ほんとうの意味での出発点は、思いに共感してくれる田平恵美を迎え、2002年に「食の探偵団」を立ち上げた時点だったと思う。
先日、食育についての新しいプロジェクトをあるご縁からいただいた。
12年続けてきたことを改めて見直すことで、これからもまたぶれない軸を持ちつつ、時代の状況にあわせた形でのプログラムを作っていきたいと考え、ワクワクしている。
食育の第一歩は、日々食べている食べものに興味や関心を持つことだと考えている。
そして食育のゴールは、大きく分けて2つ。ただし違う次元の課題ではあるが。
一つは、自分や家族が健康に生きていくためにどう食べるかという、主に栄養学的な側面。個人的な価値=健康のために食を選択する力をつけること。ただ、私はこの専門家ではないので、基本触れない。
もう一つは、未来永劫ずっと食べ続けていくことができる社会を作ること。そのために何を食べるかを選択する力をつけること。日々私たちが何を食べるかの選択によって未来の社会は変わっていくという「事実」に基づいている。
乾物は未来食。乾物への負の先入観を払拭し、未来に繋げたい
乾物については、3.11の少し前から意識しはじめ、3.11を契機に本腰を入れて取り組んできた。この活動を、私は現在進行形の食育プロジェクトと捉えている。
常温で長期保存できる、軽い、そんな乾物は、たとえばCO2削減だったり、無駄なく食べていくことだったり、地域にスモールビジネスを産み出すことだったりに繋がる。
水とセットにすれば飽食の地域から飢餓の地域に運ぶことが、おそらくは最も容易な食材でもある。
でも今、さまざまな乾物が時代遅れ的な感覚でひとまとめにされ、多くの乾物の伝統が日本ではもしかしたら風前の灯火の状態にある。
実は、ちょっとした視点の転換さえできれば、乾物は時短に繋がる食材であり(水に浸けるという行為は数十秒、皮をむき刻んで、さらにはそれで出た生ゴミを捨てるのとどちらがラクか?)、多忙で買い物の時間がとれなくても家に食べものがあるという安心感+「もしも」の時の防災食材でもある。
このまま10年経過したら、日本の乾物製造業は壊滅的な状態になると思う。
知恵を、技術を、未来に繋げるためのタイムリミットは今だ。
本気でこれを進めていきたい。
そう腹をくくったら、偶然のようなことが続いておきてきた。
自分のできることを一つずつ積み上げていきます。
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