「誰のための農業政策なのか 食料自給率という幻」茂木創著 唯学書房を読む。著者は、国際経済の専門家。
「食料自給率をあげないと世界的な食料不足の前に日本は餓死してしまう」より、「経済力がなくなって輸入が途絶えて餓死してしまう」方がこわいとする。
食料問題は食料だけの問題ではない
この本を読んでの感想
誤字脱字が散見されること、後半のグラフの解説のところに「?」と思う数字がはいっていることなどで、信用性を落としているのが残念。
私自身はといえば、主食穀物自給率(80年代から60%程度をキープ)はこれ以上下げない努力が必要と思うが、食料の安定確保のためには、自由貿易の流れに逆行するより、輸入が途絶えるという状況をいかに未然に防ぐかを考えることが大切と思っている。その点では著者に賛成。
そう考える理由は以下。
①以前、私自身試算してみたことがあるのだが、今の食生活を続けたいと思った場合に、それだけのものをすべて自国で生産するだけの土地が日本にはないのは事実。
②また、自給率100%は鎖国状態であり、それは望むべきものかといったら、日本にとっても世界全体にとってもそうではないのも事実。
③2003年の冷害による米の緊急輸入の際にも輸入ルートがほぼなかったことから大変なことになったというのも事実。確保先が複数あることでリスク回避できる。
その上で、自由貿易下でもきっちり利益をだせる日本の農業の発展に期待したい(って、あとはおまかせ!口調ですみません。でも多くのすごい農業経営者たちがいるのも知っているので、がんばってください!と素直に思う)。
では私たち一人一人にできることはなんなのだろうか?
ここまで食料自給率という言葉が(それもカロリーベースという最も低い数字がでるバージョンが)広まったのは、こんな理由かな、と感じている。
将来にわたって食料をどう確保していくかという大きな問題に対して「何かできることはないか?」と個人が考えた時、「食料自給率が低いのは問題。いざという時にこわいし。国産のものを買うことなら私たち個人にもできる」そう思えるから、というのも大きい気が実はしている。
輸入国を分散することでリスクが低減されるといっても、私たち一人一人が食料を輸入するわけにはいかない。
国内の農業に競争力をつけようといっても、農家でない私たちが何か具体的にできることはすぐには思いつけない。
高所から分析することも大切なのだが、では私たち一人一人が何をすることで、その方向に社会が動いていくのかの道筋が見える、あるいは作ることが必要と思う。
そういう意味で国際的には使われていない日本独自の「カロリーベースの」食料自給率を作ったのは(1987年に初出)、農家保護の面では賢かったと思う。が、そのアップが国益に繋がるかというと、そのあたりの議論はほぼされないままにきてしまっているのは、著者がいうように問題だと、私も感じている。
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