10月10日、友人の澤木祐子さんが代表を務める国際スタイリングカウンセラー協会の2周年記念のイベントに参加。その中で、日本メンタルヘルス協会の代表、衛藤信之さんの講演を聞く機会がありました。
とても感慨深く、考えさせられるところもあるお話だったのですが、その日の私の気持ちのあり様からか、素直に受け取ることができなかったように感じたので、衛藤さんの最新刊「今日は、心を見つめる日。」を読んでみました。
もしかしたら、その内容は、心理学関連の本を読んでいる人たちにとっては「読んだことあるなあ」と思えることが多いかもしれません。
とはいえ、ともすれば難しくなりがちなことを、衛藤さんは人の心に届くよう、わかりやすい言葉で表現するストーリーテラーとして抜群の才能を持っているように感じました。これは壇上でのお話の際にも感じたことでした。
心に残った言葉たち
「自分探しなどにこだわらずに、生き方や考え方、普段の行動やふるまいなどについて『こうありたい』『こうであった方がステキな自分だ』という脚本を書き、その脚本を演じながら、自分の人生を形づくっていくことが大切です」
「肉体は朽ちても物語は朽ちない」
「小さな、平凡なストーリーを非凡に生きるように心がけること」
「物語の背後に隠れているドラマを感じること」
父は今も生きている、と思う瞬間
この本を読んで父のことを思い出しました。
亡くなってもう10年以上経つのに、娘と息子の会話の中に父との思い出話が出てくると、父はまだ生きているんだなと感じます。
私との関係は、強権的な父と長女であり、特に若い頃には随分ぶつかったこともありますが、「目に入れても痛くないほど可愛い」と言葉にしなくてもわかるほどに孫たちを見る父の表情はいつも満面の笑みでした。彼らを膝に乗せて声色を使っておもしろおかしく絵本をよんできかせていた晩年の父の姿が思い出されます。
だから、あの絵本たちは捨てられないなと思うのです。
いつもお土産に買ってきてくれたケーキとクッキーもまた、食べるたびにそこには父との思い出(子どもたちにとっては祖父との思い出)がよみがえります。
「肉体は朽ちても物語は朽ちない。」
そして、そんなちょっとした、当たり前の瞬間に、私たちの幸せはあるんだなあと思うのです。
「こうであった方がステキな自分」
そういえば、衛藤さんが降壇した後、ふと目があったので会釈をしたら、「お着物のような装い、素敵ですね」と即座に服装をお褒めいただきました(黒いワンピースの上に絹の薄いピンクのスカーフと友人の山田百里恵さんのMorie Tokyoの黒い着物地の軽いジャケットを羽織っていたのでした)。褒められて嫌な人はいませんよね。
「こうであった方がステキな自分だ」とこうしたことも習慣付けていらっしゃるのかもしれません。
私もまた、「こうであった方がステキな自分だ」と思うような行動を取っていきたいなと思うのでした。それは偽善ではなく、それを続けることで、いつの間にかそんな自分になっている、はずだから。
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