”「起きるわけがない」と決めつけても、どんなことだって起こりうる。そうした最悪の事態を予測することが、最悪を回避する最善の手段なのだ。”
”未来の歴史家たちは、2017年の人類が「大破局」を予見したのに、これを阻止するための地球規模の革命を起こさなかったのはなぜか、と疑問を抱くに違いない。”
2030年、人類は壊滅的な状態に陥るかもしれない
さまざまな数字をあげ、2030年はこんな世界になるだろうとの「予言」が並ぶ。
予言と言う言葉をアタリ氏自らも使うようだが、学者として多くの資料に当たった上で導き出された「予言」である。
実際にヨーロッパの政界でも「最高の叡智」として活躍するジャック・アタリ氏のこの「予言」は当たらないで欲しいところではある。
が、おそらくはそういう世界に向かっている肌感覚がある。
「21世紀の歴史」での「予言」が的中している
数年前に読んだジャック・アタリの「21世紀の歴史」。
アメリカの凋落、究極の市場主義の支配、国家という概念の崩壊、監視社会への動き、国境を超えて跋扈する暴力集団、様々な地域での紛争と言ったことが「予言」されていた。
だが、そんな社会を経て、「利他主義」を生きる「トランスヒューマン」たちが生まれ、2060年くらいには国を超える「超民主主義」が生まれるとも言っている。
歴史の単なる傍観者ではなく、自ら行動を起こせるのか?
「未来予測」の第1章から3章の暗澹たる未来の「予言」のあとの第4章「明るい未来」は、唐突にも感じられる。
「歴史の単なる傍観者ではなく、自ら行動を起こせるのか?」
個人の幸せを追求することは、より良い世界に向けて行動を起こすことだとし、そのための個人の変容の10段階が提示される。
そうして誕生した「利他主義者」(=トランスヒューマン)たちが一致団結して世界を変革するための行動を起こすことが必要とし、そのために必要な10の提案をする。
彼自身が
「無駄に終わると思うかもしれない」
「まったくのユートピアだと一笑に付すかもしれない」
「実現不可能と思うかもしれない」
と何度も記している。
4章は、70代半ばに差し掛かろうという氏の未来への「祈り」のように感じながら読んだ。
チェ・ゲバラの言葉を思い出した
ふと思い出したチェ・ゲバラの言葉。
『もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、出来もしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。「その通りだ」と。』
私たちは、2030年に向けて、一人一人が革命家の精神を持って生きていかなくてはいけないということになるのかもしれない。
第4章は、涙なしに読めなかった。
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